
瀬戸内海に浮かぶ、人口約3,000人の小さな島、直島。穏やかな海と空に抱かれたこの島は今、世界中から年間40万人以上もの人々が訪れる、現代アートの聖地として知られています。
かつて銅精錬の島として栄え、高度経済成長期には8,000人もの人々が暮らしていた直島。産業構造の転換とともに過疎化の波に直面しながらも、1980年代後半からのアートによる地域再生の取り組みは、この島に新しい光をもたらしました。今では、日本における文化主導型まちづくりの先駆的モデルとして、世界中から注目を集めています。
そして今、この島に新たな歴史の転換点が訪れようとしています。世界的ラグジュアリーホテルブランド「マンダリンオリエンタル」の進出です。2027年夏の開業を目指して、文化財である大三宅の屋敷がある場所に、全22室のモダンな日本旅館スタイルのホテルが誕生します。これは単なるホテルの開業ではなく、産業、アート、そしてホスピタリティ。直島が紡いできた物語に、新しい一章が加わる瞬間なのです。
直島の歴史と三宅家、そして産業の島としての顔
直島の歴史は想像以上に深いものがあります。古くから瀬戸内海の海上交通の要衝として栄え、江戸時代には幕府直轄の天領地となりました。島の人々が今も敬意を込めて「大三宅(おおみやけ)」と呼ぶ三宅家は、崇徳天皇をルーツに持つとされ、直島唯一の国登録有形文化財として、江戸時代後期から明治時代にかけての瀬戸内地方の上層民家の様式を今に伝えています。
1917年(大正6年)、三菱財閥4代目当主の岩崎小彌太により、直島に中央精錬所が建設されました。瀬戸内海沿岸に点在する銅鉱山から運ばれる鉱石を精錬するのに、この島は最適な場所だったのです。今も操業を続ける三菱マテリアル直島製錬所は、時代とともに進化を遂げ、環境リサイクル事業にも展開しています。1960年代のピーク時には約8,000人もの人々が暮らし、島は活気に満ちていました。
しかし産業構造の変化とともに人口は減少。島は新たな道を模索する時期を迎えていました。そこで始まったのが、アートによる地域再生という挑戦だったのです。
ベネッセが描いた「アートの島」構想
1985年、直島のアートの物語は、福武書店(現ベネッセホールディングス)創業社長の福武哲彦さんと、三宅家出身で36年間直島町長を務めた三宅親連さんの出会いから始まりました。二人が描いたのは、「文化・教育」を軸にした持続可能な地域づくりのビジョンでした。
1988年、「直島文化村構想」が正式に発表されます。福武總一郎さん(現ベネッセホールディングス名誉顧問)と、世界的建築家の安藤忠雄さんがタッグを組み、「人と文化を育てる」という理念のもと、プロジェクトが始動しました。
1992年、ベネッセハウスが開館。美術館とホテルが一体となった世界でも類を見ない施設で、クロード・モネ、ジャクソン・ポロック、アンディ・ウォーホルなど現代美術の巨匠たちの作品が息づいています。2004年には、クロード・モネの「睡蓮」シリーズを自然光で鑑賞するために設計された地中美術館が誕生。ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアの作品が、建築空間と一体となって訪れる人の心を揺さぶります。
2025年には直島新美術館が開館。草間彌生さんの黄色いかぼちゃ「南瓜」、宮島達男さんの家プロジェクト「角屋」、大竹伸朗さんの直島銭湯「I♥湯」など、島のあちこちに点在するアート作品と建築が、島全体を一つの美術館のような空間にしています。
このアートによる地域再生は、単に観光客を呼び込むためのものではありませんでした。アートを通じて島の人々と訪れる人が交流し、新しいコミュニティが生まれる。過疎化が進む島に、文化という持続可能な価値を創造する。それが直島モデルの本質だったのです。
2025年、瀬戸内国際芸術祭、6回目の開催へ
直島のアートが育んだ物語は、やがて瀬戸内海全体へと広がっていきます。2010年、「海の復権」をテーマに、第1回瀬戸内国際芸術祭が幕を開けました。3年に1度のトリエンナーレとして、2025年は第6回目の開催です。今年は大阪・関西万博と同時期の開催ということもあり、国内外から一層の注目を集めました。
瀬戸内国際芸術祭は、過疎化、高齢化という日本の地方が抱える課題に対して、一つの答えを示しています。アートを媒介に、地域の歴史や文化を再発見する。外から訪れる人と地域の人が出会い、新しいつながりが生まれる。そのプロセスは、持続可能な地域社会のあり方を教えてくれます。
欧米やアジアからの来訪者も年々増え、瀬戸内は今や国際的なアートデスティネーションとなりました。特にヨーロッパの美術愛好家からの評価は高く、「日本のアートを体験するなら瀬戸内」という認識が、少しずつ広がっています。
マンダリンオリエンタルが瀬戸内海にやってくる意味

瀬戸内のラグジュアリーツーリズムは、すでに静かに始まっています。わずか19室の船上ホテル「ガンツウ」は、2017年の就航以来、世界中のラグジュアリートラベラーを魅了。2028年には、宮島口にヒルトン系の「LXRホテルズ&リゾーツ」も開業予定です。
そして、瀬戸内海を舞台にした国内初の周遊型ラグジュアリーホテル構想として、2027年夏、高松と直島の2ヶ所にマンダリンオリエンタルのホテルが開業予定です。宿泊客向けのプライベートヨットツアーも計画されており、瀬戸内の島々の魅力を最高のホスピタリティとともに体験できるようになります。中でも直島のホテルは、文化財である大三宅の屋敷がある場所に誕生する、全22室のモダンな日本旅館スタイルで、特別な存在です。
マンダリンオリエンタルは、1963年に香港で生まれたアジアを代表するラグジュアリーホテルブランド。東洋の伝統的なおもてなしの精神と、現代的な洗練されたサービスの融合がその真髄です。世界27の国と地域に展開するこのブランドが瀬戸内を選んだ理由。それは、ここに真の意味での「オリエンタルなラグジュアリー」を体現できる文化的な土壌があると判断したからでしょう。
このラグジュアリーホテルの進出は、直島の歴史に新たな1ページを刻みます。三菱マテリアルによる産業基盤の確立から、ベネッセによるアートの島構想。そして今、国際的なラグジュアリーツーリズムの拠点として直島の価値がさらに高まろうとしています。
関西とつながる、海のゴールデンルート
日本のインバウンド観光といえば、東京・京都・大阪を結ぶ「ゴールデンルート」が定番ですが、オーバーツーリズムという新しい課題も生まれています。この課題を解決する一つの方法が、「西のゴールデンルート」の形成です。
特に注目したいのが、関西経済同友会が提唱する「海のゴールデンルート」構想です。大阪湾と瀬戸内をつなぐ広域観光、スーパーヨットによるラグジュアリーツーリズム。この構想を後押しするのが、2027年に神戸港に整備される日本初のスーパーヨット特化型マリーナです。全長24メートル以上の大型高級ヨットの拠点として、瀬戸内へのラグジュアリーツーリズムの「東の玄関口」となります。

神戸で下船した富裕層の旅行者が、プライベートヨットやヘリコプターで直島、小豆島、尾道、宮島などを巡る。瀬戸内国際芸術祭で現代アートを楽しみ、マンダリンオリエンタルで最高級の日本式おもてなしを体験する。そんな、これまでにない旅のスタイルが、もうすぐ現実のものになります。
瀬戸内は今、日本のラグジュアリーツーリズムを牽引する存在として、新しいステージへと歩みを進めています。美しい自然、豊かな文化、世界水準のアート、そして最高峰のホスピタリティ。これらが有機的に結びつくとき、瀬戸内は世界中のラグジュアリートラベラーが憧れる場所になっていくのだと思います。
直島という小さな島の物語は、私たちに「まちの時間」の大切さを教えてくれます。産業の隆盛と衰退を経験し、過疎化という困難に直面しながらも、文化という持続可能な価値を創造することで、新たな繁栄を築き上げた。その歩みは決して平坦ではありませんでした。多くの試行錯誤と、地域の人々の粘り強い努力、そして島を訪れる人々との対話があってこそ、今日の直島があるのです。
2027年、マンダリンオリエンタル瀬戸内が開業します。文化財である大三宅の敷地に、現代の最高峰のホスピタリティが重なり合う。それは単なる宿泊施設ではなく、島の人々の暮らしと来訪者の時間が交差し、新しいコミュニティが生まれる場所になります。
多島美が織りなす美しい景観、世界水準のアート、豊かな食文化、そして温かいおもてなしの心。これらすべてが調和した、唯一無二の場所として、瀬戸内は世界に輝き続けるでしょう。そしてその輝きは、観光地としての成功だけでなく、地域に暮らす人々の生活と、訪れる人々の心に残る体験が、ともに育まれる場所であることの証なのです。
直島という一つの島から始まった物語は、今、瀬戸内全体へと広がり、地域の時間を大切にしながら未来を創る、新しいまちづくりのモデルとして、日本中から注目を集めています。その光は、これからもずっと、瀬戸内の海と島々、そしてそこに生きる人々の営みを優しく照らし続けることでしょう。

Text:上津原雄太
Profile
福岡出身、東京の大学に進学しましたが、縁あって大阪でまちづくりの仕事に携わる博多弁、標準語、ちょっぴり関西弁も話せるトリリンガルです。今年はワールドシリーズのドジャース戦に1人で現地観戦に行くほどの野球愛好家。
